INTERVIEW 佐藤 栄助
2005年中途入社
本社
イベント企画部 チーフ
卒業メンバーとのつながりは宝
誇れる母校でありたい
バンタン卒の先輩がきっかけ
30歳目前での転職
29歳の時に中途でバンタンに入社し、それ以降ずっとバンタンデザイン研究所に所属、もう14年目になります。その前は、新卒で入社した総合アパレルメーカーで、総合職として7年ほど勤務していました。父親がアパレル勤務だったこともあり、学生の頃から服が好きで、自然とその道に進んだ流れです。
百貨店や専門店への卸営業やMDなど、様々な業務を経験して、それなりに充実した日々だったんですが、会社の経営が傾いたのを機に、転職を考え始めました。営業スキルが試せそうなMRとか、全然畑の違う職種に応募したりしつつ3ヶ月ほど転職活動したんですが、やっぱり個人として興味の持てない業界を目指してみても、やる気が出ないんですよね。改めて自分の経験を振り返っている時に、前職でOJTを担当してくれた、バンタン卒の先輩を思い出しました。その先輩ものすごくかっこよくて、総合職だった自分にしてみると、専門職の人達にはどこか憧れみたいな気持ちもあったんです。
専門職の人達を育成する仕事っていいな、と直感的に思い、バンタンに転職しようと思い立ちました。
お手本となる先輩との出会い
創る仕事の面白さ
バンタンデザイン研究所のスクール広報グループに配属され、最初の4年は入学サポートの仕事をしていました。入学検討者向けに開催していた「地区ガイダンス」を担当し、北海道から沖縄まで、毎週末あちこち飛び回っていました。その後、スクール運営グループへ異動。ファッションデザイン学科、スタイリスト学科・・・と担当しましたが、異動したばかりの頃は、カリキュラム作成や中身作りの仕事は先輩に頼りっきりだったんです。メンバーの成長や将来に影響する、最も重要で責任の重い仕事なので、学部経験の長い先輩に組み立ててもらうのが最適だと。その後も、大型イベントや産学協同プロジェクトなど、イベント運営経験の長い先輩について、全体管理や進め方を学びました。思えば、中身を作る仕事も、アウトプットする仕事も、お手本となる先輩に巡り会えて自分は本当にラッキーでした。お二人とも、社内で「ファッション学部といえばあの人」という存在の方だったので、ファッション学部ならではの考え方や特徴など、今の自分の礎になっているたくさんのことを吸収させてもらいました。
メンバーも講師もスタッフも
卒業後も続くつながり
だんだん後輩も増え、自分が先輩として教える立場になっていき、気がついたらファッション学部全体を統括するポジションになっていました。結局ずっとファッションに携わっているんですが、それだけ長くやっていても、やっぱりまだファッションが好きなままです。毎年バンタンに入学してくるメンバーも、業界で活躍する講師も、きっと同じなんでしょうね。そうやって想いの根本がつながっているから、真剣に対峙し合えるんだと思っています。そして、真剣で濃密な時間を過ごしたからこそ、卒業してからも繋がりが残ります。自分が担当したメンバー、一般的な会社で言えば顧客との関係がずっと続くのは、この仕事ならではの喜びです。しかも彼らは、自分が好きなファッション業界のクリエイターになっているなんて。
現在はイベントや新規学科の企画など、スクールの強み作りに特化しています。ここで、バンタンならではの仕組みとして、卒業メンバーとの関係をよりスムーズに長く保てる環境を作りたいと思っています。そして、卒業メンバーが「バンタン卒でよかった!」と誇りに思ってくれるようなスクールであり続けたいです。
私が創るのは…
やりたいことを貫いた人が
儲かる時代
今、将来性や安定を重要視するために、妥協して仕事を選ぶ若者が多いように思います。若い世代には、やりたいこと・好きなことをもっと堂々と選んで欲しい。そのためには、そういう成功者がたくさん出てくることが一番なんじゃないかと思っています。