デザイナー/プロデューサー 山本寛斎氏インタビュー

創立50周年、おめでとうございます。
50年前・・・。私が表参道を拠点に活動していた頃ですね。
世の中は東京オリンピック一色だったようですが、私はポスターなどを通じて知っていたぐらいでした。青春時代の寛斎は、日本の出来事がどうのという前にひたすら世界に挑戦したいと思っていたんです。
当時、20~21歳の青年だった私は、海外のヨーロッパのファッションのエネルギーに痺れていました。徐々に話したり調整したりする相手もロンドンやパリ、ニューヨークの人たちへと変化し、必然的に私は活動の場をヨーロッパへと広げていきました。そんなころ、渋谷か恵比寿の駅のプラットホームで見かけたのがバンタンの看板でした。
記憶をたどるに、バンタンは私と似ている部分があったんだと思います。それは非常に個性的だったということです。
既に私は、ファッションは数ある表現方法の中のひとつの手段として捉えていました。世界的にみても個性的なデザイナーでプロデューサーだったと思います。そのため、他のデザイナーやクリエイターがどのような活動をしているかをあまり気にすることもありませんでした。
そんな私が気になったのがバンタンでした。バンタンも私と同じ“変化の道”を歩いている。そう感じたんです。
以来私は、創業主である菊池さんをはじめ、様々な方々と交わりを持たせていただきました。それはどれをとっても非常に魅力的な交流だったと思います。

デザイナーとしての私は、日本人色が強い方だと思います。ただ、これまでに見てきたものが世界規模に広がっているため、感覚的なものは生粋の日本人のそれとはかけ離れていると自覚することもあります。そういう意味では日本人としての基準から大きく変化しているのかもしれません。ただ、表現したいという欲求については全く変わっていません。これはもう、“生”や“命”がなくなるまで変わることはないと思います。また表現したいものについても変わっていません。今でも数十年前の自分の作品や出版物を見ることがありますが、テーマやメッセージがほぼ一緒だったりすることに驚きます。きっと基本的には何も変わっていないのだと思います。自分でもよくもまぁここまでブレずにやってこれたと思います(笑)。

メッセージ

私には、人様にどうのこうのを言う前に自分で抱えている課題がまだいっぱい残っています。それを解決し証明していかないと説得力もないし誰もついてきてくれないと思っています。私は先に、先輩として「ここまでいけるんだよ」という証明をしていくことでメッセージを残したいと思います。
わたくしごとですが、今年も春先から大きなイベントが続きます。スポーツとファッションを融合させたリアルエンターテインメントです。今はそれが楽しみで夜も眠れません。その先もやりたいことがたくさんあります。先は「地球の~」として、恐竜時代から現代までを表現したいとも思っています。まだまだ続きます。
バンタンには、これからもますます個性的に進んでいってほしいと思います。是非、頑張ってください。